クフでダローバルな日記

タフでもグローバルもない

虚構擁護派と否定派の溝が埋まらない理由

学園祭の間に若干鎮火したっぽいのにまた掘り返すのはアレかなぁとも思うけど、まぁこんな弱小ブログそんなに見られないだろうということで更新。

虚構新聞の日本ユニセフとアグネスに関する記事関連ではてな界隈が盛り上がってました。
虚構は割と好きだったのではてなで人気エントリーに上がってきたのをちょくちょく目を通してたんですが、あまりに話が進んでない。
「まぁネットなんてそんなもんだろ」とも言えるけど、さすがに今回はひどい。ただの煽り合戦に発展しつつあったし……
というわけで、ちょっとどうしてこんなに進まないのか自分なりに考えてみました。

まず第一に、お互い「虚構新聞」というサイトの捉え方が違いすぎてる。
虚構擁護派の人の多くは勿論普段の虚構新聞も好きなわけで、普段のくだらない記事も知ってる。
だからこそ、虚構新聞は「個人のジョークサイト」と捉えてる。
一方否定派の人はもともと虚構新聞が嫌いな人が多い印象。といっても「はてな村」とかいう限界集落に籍を置く以上、人気の記事には目を通さねばならないので、森永と絡んでる話とか書籍化の話とかの活動は知ってる。
そうすると、虚構新聞は「メディア」とまではいかずとも、ある程度有力な情報発信サイト(ただし内容は批判)のような印象を待たれ得るようになる。

この「個人サイト」と「情報発信サイト」という第一のずれが、さらなるすれ違いを引き起こす。

情報発信サイトとみなす側はもちろん、「インターネット上の誤情報に基づいた記事が力を持つなんてありえない。そんなものは悪質なデマでしかない。」と考え、メディアとして要請されれば削除するのが当然。開き直るなんて以ての外……。
しかし個人サイトとみなす側にとってはそもそも「悪質なデマ」という虚構新聞の内容に対する形容が相応しいとは思えない。
例えば僕がこの弱小ブログで「アグネスはひどいやつだ!!!」とか言ったところで、それはデマというよりは誤った主張でしかない。虚構新聞はそういう「誤った主張」をあえて「嘘ニュース」としてネタにするのが手法なんだから。

つまり否定派が記事削除後の開き直りがまずいとして記事自体を批判し始めたのに対し、擁護派は虚構新聞の記事としての妥当性を論じ始めてしまった。
否定と擁護、ゴールがそもそも真逆なのにスタート時点まで違う場所で違う方向を向いてまっすぐ走り始めたら、巡りあうことなんて出来るわけがない。
そうしてそのまま両者は疲弊するかか走り飽きるまで延々と走り続けて永遠と出会うことはなかった……fin.


多分こんな感じなんじゃないかな?もうお互い走り飽きちゃったみたいですが…
僕自身は今回の虚構新聞の最大の失敗は、虚構新聞が大きくなったことに自信をつけた社主さんが、実はそれが想像以上に大きくなってしまっていたのに気付くことができなかった点、なのではないかなと思ってます。偉そうでスイマセン。

中一の時に初めて虚構新聞を見つけ、デュフデュフ言いながら友人たちに布教した身としては、あの頃の虚構の世界を現実に適用し、善を馬鹿げた物にし、悪を更なる悪にしてジョークへと昇華させるおもしろサイトに戻って欲しい限りです。まだ大学生なのに解雇中なのもアレですが。

以下、個人的に好きな虚構の記事↓(本編)
「10桁で終了」 円周率ついに割り切れる
「魔法少女になりたくない」 将来の夢、ついにランク圏外
児童養護施設にタイガーマスクの贈り物 群馬
倫理で解答全てが1番になる珍事 センター試験
こういうので笑って人格否定されるほどひどいインターネッツではありませんように