クフでダローバルな日記

タフでもグローバルもない

愛とはなにか1 プラトン『饗宴』その3

続きです。
ついにソクラテスです。

6.ソクラテス
無知の知」の体現者として、彼は前回の最後のアガトンとのやりとりも、これから述べる演説も、全て異国の女性ディオティマから聞いたものとして語ります。
あの論破も、かつて自分もされたものだとしてアガトンに対する優しさを見せてます。良い人。

前回の論破により、「エロスは美しいわけでも良いわけでもない」ということが証明されてしまったのですが、ではエロスは見にくく悪いものなのでしょうか?
それに対するディオティマ(ここで語っているのはソクラテスですが、ディオティマから習ったものとされているのでこうすることにします)の答えは
「エロスは中間にある」
というものです。
さらに、「神は幸いである」「幸いなものは美しい」「エロスは美しくない」ということから、「エロスが神でない」ことも導いてしまいます。
図にするとこんな感じですかね

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ではエロスとはどのような存在なのか。それは、「神と人間の中間に存在し、両者を介在する神霊」なのだと言います。彼が神の行いを人間に伝えるからこそ万物は統一体となるらしいです。 …僕にはこの辺のことは神秘的すぎてよくわかりませんが。

ただ、その後のエロスがもたらすものについては僕の知りたかったことの一つの答えになっているような気がします。
愛することの意味として、人が「善きもの」を得、幸福になることができるようになるといいます。ではどのようにして「善きもの」を永久に所有することが出来るかというと、「善きものを生産・生殖する」事となります。なぜかというと、生殖・生産とは古いものの代わりに新しいものを作り出すこと、つまり滅び行く人間が永久となる唯一の手段だからです。
なんとなく、マルクスの考え方を想起させますね。僕はマルクス主義ではないけどマルクスについて読んだ話ではマルクスの考え方が好きなのでこの考え方はとてもしっくり来ました。

そして、生産の主体によって愛の原因は変わるということをディオティマは言います。
肉体が生産欲求の主体である人は婦人を愛し、魂が主体であるならば少年を愛するのです。この時代では徳の向上が最も尊ぶべきものであると考えられているからこそ、少年を愛し、少年に徳や知慧をさずける事ができる智者の少年愛が最上のものとされているのでしょう。

現代的に言えばおそらく、前者が外見を重視し、後者が中身を重視するということになるんでしょうか。現代でも魂を重視する流れが強いからこそ、中身のいい人と恋愛し、自分自身の徳を向上させる、具体的に言うなら自分の性格も良くするとか相談相手になってもらうとかが良い恋愛とされるのだと思います。


(おまけ)7.アルキビヤデス
ソクラテスの演説が終わった後の宴席に乱入してきた酔っぱらい。
ソクラテスが自分と寝てくれなかったことを述べることで、ソクラテスがいかに偉大かを読者に認識させる役目を持っているらしい。


とまぁ各人の趣旨の説明をしてきたわけですが、本当はもっと深いことを言ってるしいろいろカットしたことも多いので、ぜひぜひ読んでみてください。(・ω<)