知性は良いツールか?/『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス
最近なんだか忙しくなってきたので久々にブログを書こうと思います(?)。
この前思考実験に関する新書を読んでいたら『アルジャーノンに花束を』が紹介されていたり、作者の方が亡くなったりということがあったので、いい機会だろうと思い読んでみました。
- 作者: ダニエルキイス,Daniel Keyes,小尾芙佐
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1999/10
- メディア: 文庫
- 購入: 75人 クリック: 1,445回
- この商品を含むブログ (243件) を見る
amazonで紹介されているあらすじとしては、
精神薄弱の陽気な青年チャーリーが人工的に知能を高める人体実験の被験者になり、やがて彼の知能は超天才の域に達していく。同じ実験を受けた白ネズミのアルジャーノンに彼の見たものは…。
となっています。
以下ネタバレ?が多くなっているので知りたくない人は読まないほうが良いと思います。
僕の読んだ思考実験の新書では、この「人工的に知能を高める人体実験」に着目して、エンハンスメント(能力増強)が良いことかどうかを問う思考実験としてこの本を読んでいるのですが、僕としては「知性は良い物か?」というのを主に考えながら読んでしまいました。
主人公チャーリーは最初IQ68ではあるものの、知的に向上する意志があるということで被験者として選ばれます。この頃のチャーリーは知的障碍者としてある程度周囲に虐げられているのですが、知能の低さ故にそのことを知る由もなく、虐めてくる同僚たちを「友だち」として認識しているんですね。
その後段々と知能が上がっていくに連れて、同僚たちが仲良くしてくれていたのではなく虐められていたのだと気づくようになります。さらに同僚たちは急激に知能が向上した彼を恐れ、今まで下に見ていたチャーリーに知性で敗れることに憤り、彼のことを完全に嫌うようになります。チャーリーも虐められていたのだと気付いてしまった以上、彼らのことを憎むようになり、対立するようになってしまいました。
「知らぬが仏」という言葉がありますが、まさにそのとおりかもしれないと考えさせられる話ですね。個人的にこの言葉はあまり好きではなく、真理が存在するならそれを知る努力をするべきだというイデア論的な考えをしていたのですが、さすがにこのようなケースだと悩んでしまいます。
「行為者がネガティブな意味を持っていることをしても被害者がポジティブな意味で捉える時、被害者に真実を知らせるべきか」というのは難しい問題で、もし自分がこの被害者であったならば知らせてほしいとは思いますが、知らせる側の立場に立った時は悩ましいです。結局「本人にとって何が幸福であるか」という疑問に帰着されてしまうので、一般的な解はないのでしょう。
立場が逆で「行為者がポジティブな意味を持っていることをしても被害者がネガティブな意味で捉える時」は、ただの迷惑なので極力何の躊躇いもなく止めに入るべきでしょうが。
もう一人、物語全体を通してチャーリーと触れ合っている存在である若い女性アリスも重要です。彼女はチャーリーの通っていた知的障碍者センターの教師で、チャーリーのIQが低い頃は当然「教師と生徒」の関係でした。しかし、チャーリーが知性を得ていくに連れ精神レベルも発達してくると、チャーリーはアリスに恋愛感情を抱き、アリスも向上心があって純朴なチャーリーに惹かれるのですが、今後さらなる知的成長を遂げたチャーリーとの意思疎通が難しくなることを察し、付き合うことにはなりませんでした。彼女はその後もチャーリーの変化を語っているのですが、IQ180くらいになったチャーリーがアリスの教えている教室に来た際の発言がかなり厳しいです。
あなたは前とは違ってしまった。変わったわ。あなたのIQのことを言ってるんじゃないの。他人に対するあなたの態度よーー自分は同じ人種じゃないとでもーー…(略)…
以前のあなたには何かがあった。良くわからないけど……温かさ、率直さ、おもいやり、そのためにみんながあなたを好きになって、あなたを側においておきたいという気になる、そんな何か。それが今は、あなたの知性と教養のおかげで、すっかり変わってーー
要するに、チャーリーは知性を得ることでもともと自分と同じ境遇であったはずの知的障碍者に対して、自分がなされたのと同じ「下に見る」という行為をしてしまっているんですね。これはまさに知能増強の弊害と言えるでしょう。
ただ、これはこのような極端なエンハンスメントに限ったことではなく、日常レベルでもよく起きることですよね。「自分の通った道にいる後続者を下に見る」というのはまさに「老害」ってやつが具体例でしょうか。本来は下に見るのではなく先輩として良いアドバイスを授けるべきなんでしょうが、「下に見る」という行為は確実に自分の地位を相対的に優れたものにすることが出来る以上、なかなか止めづらいものでもありますよね。僕もこういう傾向はかなりあるので気をつけないとなぁって感じです。
そして、アリスはこの時さらに学問面でもメッタメタに言います。
このごろ、あなたとは話ができないのよ。あたしにできるのは、耳を傾けて、頷いて、文化的変異でも新ブール数学でも記号論理学でも、みんなわかったようなふりをすること、そしてあたしはますます自分が愚か人っていくような気がして、…(略)…あなたが何かの話をして、あんなふうにいらだたしそうな目であたしを見つめると、ああ、あなたはあたしを笑っているんだなって思うの。…(略)…
あなたが知能を高めることをあたしは望んでいたわ。あなたに力を貸し、あなたと苦労を共にしたいと思ったーーところがあなたは、あなたの生活からあたしを締め出してしまった。
つまり、チャーリーは知性を得ることで周囲を見下す人物になってしまったということです。
これについては、原作者のダニエル・キイスも日本語版文庫の序文でこう述べています。
ぼくの教養は、ぼくとぼくの愛するひとたちーーぼくの両親ーーのあいだに楔を打ちこむ
僕も教養をつけようとして大して教養が付いてない現状なのですが、何となくこの感覚はハッとさせられるものがありますね。例えば「教養」としてその社会や共同体の常識を覆しうるような考え方を知ると、それを知らない人を馬鹿にするでもなく呆れてしまうようなことがたまにあります。
いまいち具体例が思い浮かばなかったのですが、【画像】東大文系の期末試験 : 2chコピペ保存道場がタイムリーでしたね。論理学では常識だし、ぶっちゃけ高校数学レベルの知識でも分かる内容のことをさも頭がオカシイような論調で語っちゃったり、そもそも本当は東大じゃないのに鳩山をdisったり新聞が詭弁だとか言い出したりしてるのは、まぁ論理学を知らないなら仕方ないとも思うのですが、やっぱ「あ〜あ」感が否めないですよね。
とはいっても教養というものの受容の仕方は人それぞれ違う以上、教養によって周りをネガティブに評価するべきではないですよね。気をつけます。
さらにこの小説はただ知的に向上するだけではなく、その後理論の欠陥が発見され、チャーリイの知性が元よりも低いレベルまで下がってしまう事となるのですが、その際の周囲の変化もなかなか考えさせられます。ちなみに僕はそこで一番感動しました。
あまり詳しく語っても面白く無いと思うので、是非読んでみてください。
おまけ
最初にかいた「思考実験に関する新書」がこちらです。
- 作者: 岡本裕一朗
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/12/04
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
思考実験は問題対処の方法としてのクリティカル・シンキングの手法としてもマイケル・サンデル以降流行っているものですし、読んでみてはいかがでしょうか?