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クフでダローバルな日記

タフでもグローバルもない

『武器としての決断思考』(瀧本哲史)と『学問のすゝめ』

「東大No.1ベストセラー」なんて宣伝文句が帯に書かれてるにもかかわらず、東大生協ではもはや棚の一番下の段にひっそりと置いてあったこの本。

 

武器としての決断思考 (星海社新書)

武器としての決断思考 (星海社新書)

 

 

内容を簡単に言うと、

これからの時代は今までのように一般的な生き方に流されても良い人生を送れるとは限らないから、自分で決断する能力を身につける必要がある。そこで、「ディベート」を教養として身につけるべき。で、ディベートっていうのは…だと思われてるけど実は〜で、ディベートの方法論は①:〜、②:〜…… この考え方が身についたら自分一人でも実行し、よりよい結論を導くべき。

って感じ。ザ・ハウツー本!な印象。できれば自分でも使えるようになりたいけど、まぁまだしばらくはのんべんくらりと生きてようかなとか思っちゃった。

 

ただ、導入部分にかいてあったこの部分がどうしても解せない。

極論を言ってしまえば、大学の教養課程で教えている一般教養は、大学教授を食わせるためのものでしかなく、本来の意味での「リベラルアーツ」とはほど遠い。

もっと実践的で、実用的な知でなければならない。

大学教授を食わせるためのものでしかない」ということはないのでは?たしかに一部そういう授業があるのは事実でしょうが、基本的に自分で選んで授業をとるのだから、一概にそんなことは言えないでしょう。

そもそもこの部分は、学問のすゝめの現代語訳版(齋藤孝)を引用して述べています。

学問というのは、ただ難しい字を知って、わかりにくい昔の文章を読み、また和歌を惜しみ、詩を作る、といったような世の中での実用性のない学問を言っているのではない。(中略)いま、こうした実用性のない学問はとりあえず後回しにして、  一生懸命にやるべきは、普通の生活に役に立つ実学である」(引用『現代語訳学問のすすめ齋藤孝訳/ちくま新書)

で、この部分の原文の段落がこちら。

 學問とは、唯むづかしき字を知り、解し難き古文を 讀み、和歌を樂み、詩を作るなど、世上に實のなき文學を云ふにあらず。これ等の文學も自から人の心を悦ばしめ隨分調法なるものなれども、古來世間の儒者和 學者などの申すやうさまであがめ貴むべきものにあらず。古來漢學者に世帶持の上手なる者も少く、和歌をよくして商賣に巧者なる町人も稀なり。これがため心 ある町人百姓は、其子の學問に出精するを見て、やがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟其學問の實に遠くして日用の 間に合はぬ證據なり。されば今斯る實なき學問は先づ次にし、專ら勤むべきは人間普通日用に近き實學なり。譬へば、いろは四十七文字を習ひ、手紙の文言、帳 合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得、尚又進で學ぶべき箇條は甚多し。地理學とは日本國中は勿論世界萬國の風土道案内なり。究理學とは天地萬物の性 質を見て其働を知る學問なり。歴史とは年代記のくはしき者にて萬國古今の有樣を詮索する書物なり。經濟學とは一身一家の世帶より天下の世帶を説きたるもの なり。脩身學とは身の行を脩め人に交り此世を渡るべき天然の道理を述たるものなり。是等の學問をするに、何れも西洋の飜譯書を取調べ、大抵の事は日本の假 名にて用を便じ、或は年少にして文才ある者へは横文字をも讀ませ、一科一學も實事を押へ、其事に就き其物に從ひ、近く物事の道理を求て今日の用を達すべき なり。右は人間普通の實學にて、人たる者は貴賤上下の區別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、此心得ありて後に士農工商各其分を盡し銘々の家業を營み、身 も獨立し家も獨立し天下國家も獨立すべきなり。

『学問のすゝめ』福沢諭吉

 太字部分が中略されてる部分ですが、福沢諭吉は直接に実用的でない学問を否定しているわけではないことがわかります。それは単に順序や優先度の問題であって、やはり教養としての学問は身に付けるべきなのです。たしかに「エリート」ビジネスマンにとっては不要なことなのかもしれませんが、自ら大学に進学したのに学問を蔑ろにするのはそれこそ無教養といえるのではないでしょうか。

 

とまぁ、実はこの記事は楽単を取るのが是みたいな風潮に対する鬱憤晴らしなんですが、やはりどうして教養が必要なのかっていう最近の自分の悩みを解決しきれていないので、また何か教養自体についての本を読んでみようかな。

以上、意識高い(笑)記事でした。